大正13(1924)年、熊本市電水前寺線の建設に伴って架橋されました。白川をまたぐこの橋は、もともと電車専用線として計画されましたが、地元の要望で人車併用の鉄筋コンクリート橋になりました。大正甲子の年の開通を記念して大甲橋と名付けられました。昭和28(1953)年の水害でも流出しませんでしたが、被害を拡大した反省から昭和40(1965)年に橋脚の少ない現在の橋に架け替えられました。