明治11(1878)年、西南戦争を戦い抜いた熊本鎮台の兵が、戦没者を祀る記念碑をこの地に建立し、その後、県の役人たちの戦没者の碑も作られ、明治12年(1879年)に周辺の敷地を広げて庭園としました。さらに、明治19年(1886年)、庭園に美観を添えるため、乃木希典が寄付を呼びかけ、見事な庭園を完成させました。「清爽園」の名称は第八代熊本市長の辛島知己によって命名されました。