通潤橋を造った明治の名石工である橋本勘五郎が、東京の日本橋や江戸橋、皇居の二重橋を架設したのち、帰郷して手がけた石橋のうちの一つ。明治8年(1875年)に架設されたので「明八橋」と呼ばれ、熊本市を流れる坪井川に架かり、新町と西唐人町を結んでいます。